いろいろ図案を描いてみて、「よし、この感じでいこう。これだ!」となって、そのテイストで数枚描いた辺りで、「あれ?なんか違うくない?」となり、立ち止まり、ガタンとやる気を失くし、一旦寝かせて、お酒などをのみ、お気に入りのyoutube動画に浸り、或いはそのようにして図案から逃げ、ふと「あ、今誰かさんと同じような、もしくは近づけて図案らしくみえるもの描こうとしてるやん」と気づく。
やっぱりちがう。やっぱりこうだ。やっぱりこっち。やっぱりやっぱり。と延々やって、3歩進んでは100歩くらい下がるような体感もありながら。
片岡鶴太郎さんの美術館で見つけた黒い柴犬が「汝の立つ処深く掘れ そこに必ず泉あり」とマジな顔をして言っているので、私もやはり、小さなスコップで堀っているのだろう。私の泉は、でも確かにこの先にあるな、というところまで掘れてきたよ。たぶん。
昨日急にTHE YELLOW MONKEYが聴きたくなった。THE YELLOW MONKEYは多感も多感な中学2年生辺りで知り、高校受験の勉強の合間によく聴いていた。
大好きな曲はたくさんあるけど、RAINBOW MANというのが特に好きな歌のひとつ。
歌詞の冒頭に
剣よりペンが欲しいよ 神より紙に証したい
というのがあって、初めて聴いたとき、「え?今なんて言ったの?もう一回言って」という感じで、何回も何回も聴いた。
そして、当時の14歳くらいの人の頭の中にあったモヤモヤを、ストレートかつ韻を踏みつつユーモアを持って言語化してもらえた感激で、私はよく泣きながら聴いていましたね。
ほんま多感やなあ^^と思うけど、中学生なんてそんなものです。
しかしながら、今聴いても、その感覚は同じままで、今もって涙が出たので、わたしは多感な14歳くらいの心を残したまま、40歳になろうとしていて、何かもうどうしようもないから、そういう所も受けいれようと思う。
何回も繰り返し耳にしたことは、やがて信念へと変わっていくようで、私という人間を構成する要素の一部は、吉井和哉が言語化した、このフレーズでできています。
剣よりペンが欲しいよ 神より紙に証したい
それに、よく考えたら私は穏やかそうだったり、おとなしそうに見えることもあるらしいけれど、それはそれで、本当なんだけれど、上記のフレーズを信念としている部分があるので、全部ではないけれど、中身の一部はロックンローラーなんかもしらん。
私はペンで紙に何を証したいのか、まだ掴めそうで掴めない、言語化できそうでできない。でも今の所は、紙に線を引き続けるしかなく、色をちりばめ続けるしかない。