2014年は、まったくごく個人的に「安部公房 再読年間」で、本棚から引っ張り出しては持ち歩いている。
そして読みながら、すでに数え切れないほど天才だ、鬼才だとつぶやいています。
読んでいるといつも、あのブランコ漕いでるときの、ギーコ、 ギーコ、って音がどこからともなく聞こえてくる。目の前の景色から色がどんどん減って、終いにはどうなるのかと身震いする。
安部公房のかくものは、怖い。
でも、この人の書くものは決してホラーではない。
血が噴き出るわけでもない、手足を木っ端微塵にされるでもない、悪霊に取り憑かれるもでない。それでも、たとえ貞子が1000人でかかってもこの人の描く「怖い」には間に合わないと思う。
そんなチンケな「怖い」をこの人に差し出したら、ヘッと鼻で笑って、くしゃくしゃに丸めて傍に捨てられてしまうだろう。
○○とは何か。
この人の書く「怖い」ものは、いつもそこから始まっているように思う。
追求して追求して、掘り下げて掘り下げて、それなのにその過程には、あるいは行き着く果てには、必ずといっていいほど「絶望」がある。それも徹底的な絶望である。
物事を掘り下げることは、たいてい絶望に近づくことなんではないかと思ってしまう。でもだからこそ、わたしにとっては信じられる書物なのかもしれないな。