これはアートとはさほど関係ない内容だけど、残しておきたく以前のブログから移管させた。歩くことは私にとって大事なことだと思ったから。
歩くのがとても好きだ。 昼歩くのも、夜歩くのもいい。
昨日はone of my powerspotsと東銀座でランチの約束を取り付けていた。 高円寺から東京駅まで電車で行き、東銀座まで歩く予定だったけれど、銀行に寄っていると1本乗り遅れた。
といったところで特段痛手を負わないのが首都圏交通網だ。 4分後に地下鉄東西線の電車がホームにやってきた。全く念頭になかったルートだがこれで日本橋まで乗り、東銀座まで歩けばよいのだ。
日本橋から昭和通りを新橋向いて進む。日本橋、京橋、宝町。 土日の昼のオフィス街には思いのほか清々しい空気がある。
きっと前日金曜の夜遅くまでは、疲れたり、疲れをアルコールでごまかしたり、はっちゃけたりする人たちが発散する気配がそこら中にあったはずだけれど、暮れて明ければ万事は移り変わるものだ。
ランチが滞りなく済み、別れがたかったわたしはもう一軒コーヒーでも飲もうと彼女を引き止める。彼女は用事があるにも関わらず東銀座から東京駅目指して散歩してくれる。kitteでコーヒーも飲み、それぞれがとても軽くて清々しいエネルギーを交換しあったところで彼女と別れる。
Kitteで買い物でもしようと思ったけれど特に欲しいものはなかった。4階あたりに旧郵便局長室というのがあって、そこから東京駅を見下ろした。
さて帰ろうかと思うと、東京駅から帰るのはなんだか惜しい気がして、またも歩くことにした。大手町、竹橋あたりまで歩く。
宿泊したことはまだないけれど、パレスホテルの灯りがきれいだ。 その近くに防衛庁舎があるのを見たとき、昔この辺りを昼間にふらふらと歩いたことがあったのを思い出した。
その時ああそうだったのかと、胸がスーッとした。
わたしは当然だけれど、生まれ落ちていきなり歩くのが好きだったわけではないのだ。わたしに歩くことの何たるかを教えた人物が確かにいたのだ。
不思議な人だったと思う。
今思うと、食べものも音楽も映画も読書の趣味も、それほど合っていたわけではなかったと思うけれど、とにかく歩くことが好きな人だった。
その人と連なってあちらこちら歩くうちに、歩くこと自体がわたしも好きになっていた。その人に連れられ、よくわからない場所に行き、一日歩き回るなんてことはしばしばあった。
途中からはこちらも提案するようになった。「どこそこまで歩いてみない?」とか「●●駅で降りて歩いてみたい」とか。そういう提案は至極当然な様子で、つねにすんなり可決された。
早くも遅くもないペースで、取るにならない会話をしながら、東京のいろんな町を歩いた。コーヒー屋があると休憩に入って、お互いに持参していた本をそれぞれ読み耽った。テーマパークやお買い物にはほとんど行かなかった。
ふらふら歩いて、何かしら「あ」と思うものに出くわすと知らせあった。とても楽しい時間だった。その人はそして、そういった時間を楽しむ才の豊かな人だった。
大手町から竹橋まで歩いて東西線かと思ったけれど、もうひと歩きして神保町、九段下まで歩いた。その頃には心地よい疲労が足に溜まってきたので九段下で電車に乗った。
神保町では昔よく通った絵本屋にも立ち寄った。閉店間際の店で荒井良二のまめシバ原画展も観た。そういえば昔、渋谷から駒澤大学向かって246高架下を歩いている時、荒井良二とすれ違ったっけ。
わたしは今日も歩いていて、きみもどこかを歩いているだろうと思う。 本当に豊かな人に出会えていたのだね、わたしは。