日本人特有の美的感覚として、移り変わるもの、変化していくものに美を見出す感覚があると読んだことがあります。
例えば、西洋の教会や建築物は、何百年も持ちこたえる素材選びや建て方がされていて、それに永遠性や美を見出したりします。古くからそこに在り続けるものに美や永遠を感じるということです。
一方で、日本では、例えば日本を代表する伊勢神宮の社殿と神宝は20年に一度、必ず造り替えをしていて、隅々まで新鮮に入れ替わった今の瞬間に、いつまでも変わらない姿、つまり永遠の美を感じるといったようなことです。
移り変わる季節の変化の中に、繊細さ、荒々しさ、ダイナミックさと様々な変化を発見し、万事の流転を知り、サラサラと流れていくものや、毎分毎秒変わりゆくその一瞬の鮮度に美を見出すといった感覚でしょうか。
このような感覚は、なるほど確かに自分の中にもありました。
私が好感をもつもの、美しいと思うもののひとつは、人の成長の時間とか、木から落ちていく葉っぱとか、平家物語の冒頭とか、どこか「時間の流れ」や「流転」を感じさせる人やモノ、事や言葉でした。
日本の四季折々の様子を端的に、かつ美しい日本語であらわした七十二候は、日本には「移り変わる季節があること」を思い出させてくれます。
春夏秋冬と移り変わっていくこと、時間の流れを知ること、流転することのはかなさや美しさを感じ取ることができます。
そういった要素を含む七十二候を図案の題材とするのは、ひょっとしたら大きすぎるテーマ設定かもしれません・・。
でも、繊細に移り変わる四季の様子を、目を凝らしてよく観察する日本人の自然への畏怖や、やわらかな視点を持つ七十二候と向き合う時間は学びが多いことだろうと考えています。
また、七十二候が春、夏、秋、冬と移り変わってまた春に戻ってきてという風に「一連の流れとまとまりを持った題材である」ことも選んだ理由です。
図案のモチーフは基本的に何でもよくて、描きたいものを順々に選びとって、図案を起こしていくのもいいですが、まずはひとつの一貫したテーマに向き合って図案を作っていくこと、制約のある中で趣向を凝らすことをしたく。
そこに関して、七十二候は適任だと感じています。